2015年5月1日金曜日

「山王と私」が掲載されました。



 事務所のある大田区山王の「山王1・2丁目 自治会ニュース4、5月号」に、「いろんなご縁でここで庭づくりに関っていること」を「山王と私」として書かせていただきました。会員の皆様に配布されたものです。





「山王と私」        
               正木 覚


みなさんは山王小学校前にこんもりとした緑に包まれたマンションがあるのをご存知でしょうか?私がここに事務所を構えて7年ほどが経ちました。きっかけは、この敷地の持ち主であったNさん(故人 平成21年没享年93)が相続税のことを考え始めたことにあります。日頃、皆さんも相続税が身近な住宅街の姿をがらりと変えてしまうのを目にしてると思いますが、私は庭づくりの仕事をしている傍らで、美しい庭が消えて行くのを幾つも目にしてきました。



 この辺りはかつて、明治後期に首相を務めた桂太郎の別邸があった所で、豊かな庭のある屋敷でした。N家が屋敷を購入し、その後、跡取りとなったNさんが新婚生活を始めた思い出深い家でした。特に庭には思い入れがあり、おなじ相続税を払うにしても良好な住宅環境を残す事が出来ないだろうかと悩んでいたところでした。


 私がここを訪れときは人力車の車寄せがある和風の瀟洒な玄関ありました。そして、その脇の少し朽ちかけた庭門をくぐって庭に入った時には庭は元の姿がわからない程に夏草が生い茂っていました。草丈の高い草をかき分けて、庭を歩き回るうちに、かって、ここに明るく清々しい庭であったことが見えてきました。


 滝から流れ落ちる水は岩場に弾け、コロコロと心地よい水音をたてる。その流れはやがて青々と輝く芝生の草原の脇を流れ、静かな池の淵に至る。どこからか鳥の鳴き声と庭の鉄棒で、はしゃぐ子供の声が聞こえてくる懐かしい昭和の香りに包まれる情景が広がっていました


   旧N邸スケッチ
 私はこれまで相続税の悩みを持つ地主さんとの仕事に幾つか関わってきましたが、今回、Nさんの思いを叶える解答の一つが「環境共生的定期借地権付きコーポラティブマンション」でした。

 簡単に言えば、庭の緑を活かして極力、無駄なエネルギーを使わず暮らせる建物を建て、地主は土地を手放す事もなく、しかも住民との共同出資で事業をやる。なんと夢のような事と思われるかも知れませんが、これを実現するにはいくつかの条件がありました。


高収益の事業は考えない。自分たちで借主を探す・駐車場はつくらず、緑のスペースを多く確保する。・ 使えるものは再利用するなど


そうして出来上がったのが、コンクリート3階建てで、南北にたっぷりの庭を取ったうえに屋上やベランダにも緑の溢れる、このマンションでした。


 通りから見た庭のボリュームは以前と変わらず、滝からの流れと池も美しく再生されました。おまけに昭和 のコンクリート造りの防空壕も地下貯蔵庫として残りました。
 こうして完成した庭のお披露目の時に、Nさんから思いがけない素敵な話を聞くことになりました。
「このサルスベリの木は私が結婚記念に植えたものだよ。」と
庭の主役にと移植したサルスベリはやむおえず伐採する植木があった中から残し、移植したものの一本だったのです。奇跡の様な話でした。
 そして、自分たちもこのマンションに事務所を構えることになったのも何かの縁なんでしょう。


 そもそも、相続税は桂内閣の時に日露戦争の戦費調達の為に始められたものです。敗戦後は大地主などへの極端な富の偏りが起きないように改定されたものですが、今ではそれが、美しい屋敷や庭も消滅させて行く。東京都の公共の緑は増えているのにもかかわらず、全体では減少している。その元凶が相続税なのですが、桂太郎も自分の作った税制が将来、自分の庭を消滅させようとしていたとは考えもしなかったでしょう。

日枝神社スケッチ

 明治期に入って一度は衰退していたお茶や庭の文化が新興財閥によって復興され、それと共に茶庭が盛んに作られました。古い石灯篭や水鉢の石造物も高額で取引されていました。それでも大きな庭のある屋敷は裕福な階級のものでした。しかし、戦後は財閥の解体と共に大きな屋敷や庭も失われました。庭文化もいっきに大衆化が進んだのです。先般のガーデニングブームもその現れでした。


 庭をみんなが楽しめる時代が訪れたのは喜ばしい事ですが、長い時代をかけてつくり上げられた質の高い日本の庭文化を体現している屋敷や庭が失われていくことは本当に残念なことです。都市の緑の多くを占める庭空間をいかに残して利用するか?。そんな庭をみんなでシェアーすると言うのが今回の解答でしたが答えは一つだけではありません。これからもこの奇跡の庭を眺めながらどんな可能性があるか考えていきたいと思っています。